公務員の多数は,就業前は平凡な国民の一部であったものの、公務員になるとそのほとんどが待遇に溺れ,自堕落な人間に変わってゆく。公務員らによる自浄作用は全く期待できるものではなく,我々国民が声を上げ粛清を図る他ない。能力のない公務員にも鞭を打ってでも職務を遂行させ、不埒な公務員を見出した場合は情報を集め、地道に潰していく作業が必要である。
本来困っている国民を助けるのも公務員の使命である。勿論、消防・医療職などの技術系公務員の努力には常に敬意を表する。しかし一方で、技術系公務員の報酬体系は事務系公務員が握っており、不適切な報酬体系を作っていることより、全国で問題が噴出している。全国の県立病院で給与不払い問題が表面化したこと今やいうまでもない。そこにあるのは無能公務員の食い扶持の維持のために、有能な公務員を切り捨てる誤謬と欺瞞である。庁舎内や事務所内で蠢く公務員どもは技術系公務員に嫉妬してかその活動を妨害しようとさえするのである。己の技術のもと国益に与せんといきり立つ実務系公務員の士気を下げ、無能な自分らと一つ穴の狢に仕立て上げようとするのが事務系公務員である。かといって事務系公務員が何かできるかといっても実は何もないのである。事務系公務員だけが批判の対象であり、ここでいう公務員は警察・消防・医療職は含めないものとする。結局自分の食い扶持を得るのみの為に公務員になり、国家を維持し国民を救済・援助する術を身に付けようとしないが、現在の公務員の標準なのである。はたして存在価値はあるのであろうか。
悪き者と善良な者を平等に扱うのが公僕たる本分である。しかし、公務員は悪く強い者に対して無力さを露呈する。些細なことでゴロついた者にカネを払う為に職員に仕立て上げ給与を払い続けた自治体(奈良県職員不正給与事件 2006年)、健常人を重病人に仕立て上げ、非常識な医療給付金を払い続けた自治体があった。それを遊興費のみならず麻薬購入費用に充てられてしまったのは特筆するべきことであろう(滝川市生活保護費詐取事件 2008年)。いずれもようやく司法処理に至ったが、数年間も放置されていたのである。
困った者にはまず応対を拒み、応対したとしてもすぐに応対困難に陥る。一般知識も経験も皆無で、他人とまともにコミュニケーションを取ることもできない。公務員が批判された時の常套句は「貴方も公務員になれば良かったのに」である。公務員試験に受かったことくらいが己の自慢なのであろうか。本来の勉学は社会に出て仕事で初めて身に付くものであるのが一般的な考え方だが、20歳台で公務員になった者はそこで成長が止まるのである。
最近、公務員の退職金を払う為に国に借金した自治体が現れた。世に言う「退職手当債」である。自治体職員の退職手当の支払いに充てる地方債であり、2006年度より総務省が許可したものである。
戦後は暫く国家というものに対し信頼がなくなり有能な人物が公務員にならなくなり、能力の少ない者が公務員になるようになった。いわゆる「でもしか公務員」である。特に教師は「でもしか教師」として別に分類されており現在も根強く残っている。2009年3月、首謀者に有罪判決が下った大分県教員採用汚職事件は記憶に新しいがそれがその象徴といえよう。違法行為をしておきながら、一切黙秘を続けたとされるが実は言語能力すらなかったとされる。能力と待遇の乖離が著しい者らの代表である。
能力乏しく日本を衰退に追い込んだ高齢公務員らに退職金を払うこと自体が奇異なことであるが、国民に借金してまでカネを工面するというのは明らかに常軌を逸している。
年々公務員を志願する人間は減少しているといわれ、国家公務員試験ではそれが顕著である。また公共心・愛国心盛んな者が公務員になると思われがちだが、現実はそうではなく全く逆である。CSR(Corporate
Social Responsibility 企業の社会的責任の遂行)を遵守する優良な民間企業がむしろ公共性を発揮するべく事業を行うことから、
公共心・愛国心盛んな者は民間企業に就職するのである。また税金で食べていると言われたくないという自尊心もあろう。大学での説明会に官公庁からスカウトに来ることもあるが、大概は不発のようである。少なくとも、国家公務員試験に合格する連中は、民間に採用されなかった者々である。
地方公務員に関しては学力がない上に公共心がそもそもない。公務員試験は厳しいというらしいが,何のことはない,優秀な者が不採用にされるのである。それであたかも優秀な者すら不採用にされているように見せかけているのである。公務員試験に落ちた者は決して悲観してはならず,むしろ喜ぶべきである。
公務員は第三次産業であり、何らかのサービスを提供するものと解される。しかしサービスというものは「作る」という過程が必要であり、作るにも知識・技術が必須である。公務員はあらかじめ作られたサービスを配布するメッセンジャーであり、サービス自体を作れないことが多い。住民票一つをとっても国民が申告しなければ作れないし、調査することもしない。細かい番地区画の作成にしても昔の公務員が作っており、今の公務員は作れない。他の産業に関与するにも専門家がいなければ何もできない。一方公務員であっても警察・自衛隊・消防隊員・医療従事者・法曹などはサービスの作り手でありここでは例外とする。製品はおろかサービスすら作れないのが公務員の標準的姿なのである。しかしサービスについて口を挟むこともあるが、それはクレーマーによる干渉と等しくかえってサービスを破壊してしまう場合が多い。
公務員とりわけ地方公務員は地域住民に見放され税収が減ると借金を考えるという。地方債を乱発しその場を乗り切るようである。公務員の退職金を払う為に国債にまで頼った自治体まで現れた。税金を担保にした借金はできるようである。
結局、公務員にできるのは借金と排泄くらいなものである。
公務員には実務系公務員と事務系公務員に大別されるといえよう。警察・消防・病院・法律関係者などの人をコアに扱う実務系公務員は能力とやる気さえあれば、公益をもたらす業務を次々とこなす。但し激務・比較的薄給で待遇は悪い。それが日本国民から敬意を称されるべき実務系公務員であり、日本国を支える人々なのである。但し、学校の用務員・給食員・通学世話人・市営バス運転手などのいわゆる”技能系職員”と呼ばれる者らは不労所得を得ており、次に述べる事務系公務員と同類である。一方、事務系公務員はもともと能力もやる気も無い公務員の吹き溜まりとされており、現場に出すと危ない人々なのである。大抵は身体も精神も脆弱で有給で長期病休した経験も持っていよう。また能力高き実務系公務員に対する妬み感情が強く、現場からの提言をないがしろにし身の安泰を図ろうとする者がほとんどである。現場にいる実務系公務員からの突き上げを受け止めることができず、トンチンカンな理論を並べ逃げ回るのである。国民から公務員バッシングを受けた事務系公務員は実務系公務員を盾にして身を守ろうと必死であろう。戦前の日本の軍部の台頭は無能な事務系公務員の綱紀粛正が目的であったのだが、それを外国に利用されいつの間にか戦争に参加するのを余儀なくされてしまった。日本の戦犯は東条首相でもなく軍部でもなく無能な事務系公務員の代表の腐敗官僚だと言っても過言ではない。国民は公務員を一緒くたにバッシングすることなく無能な事務系公務員を容赦なく叩くべきである。
「ファイトプラズマ」である。東京大学の植物病理学研究室の難波成任教授が発見したものである。ファイトプラズマは、自分で栄養分などを合成する機能まで捨て去る究極の退化をした病原微生物で、植物や昆虫に寄生し死に至らしめるという。日本の無能公務員は日本を死に至らしめるファイトプラズマであり、日本人の退化の象徴と言えよう。もし中央がファイトプラズマに侵食されているとしたら、日本は当の昔に滅亡しているであろう。滅亡を免れているのはファイトプラズマが地方で蠢いているということになる。恥垢とも揶揄される地方公務員が日本のファイトプラズマなのである。一方、中央にも最近ファイトプラズマが発見されており谷某が巨大なファイトプラズマであった。有効な薬剤はないものであろうか。